大判例

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東京地方裁判所 昭和34年(ヨ)2176号 判決 1960年9月19日

申請人 市川卓

被申請人 国

訴訟代理人 杉内信義 外三名

主文

申請人の申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

第一申立

申請代理人は「被申請人は申請人に対し金二十八万八千二百円及び昭和三十五年七月から本案判決確定の日の属する月まで、但しその日がその月の十日以前のときはその前月まで毎月十日限り金一万八千八百二十円宛の金員を支払え」との判決を求め、被申請代理人は主文と同旨の判決を求めた。

第二申請人主張の申請の理由

一  (雇傭関係の成立及び解雇の意思表示)

申請人は昭和三十一年四月十六日いわゆる駐留軍労務者として被申請人に雇われ空軍立川基地に製図工(ドラフトマン)として勤務していたものであるが、昭和三十四年一月三十一日附書面を以て被申請人から申請人の雇傭を継続するときはアメリカ合衆国軍隊に保安上危険であるという理由により解雇する旨の意思表示を受けた。

二  (解雇の無効)

しかしながら申請人に対する右解雇の意思表示は次の理由によつて無効である。

1  (解雇権の制限違反もしくは濫用)

右解雇当時施行されていた「アメリカ合衆国軍隊による日本人及び通常日本国に居住する他国人の日本における使用のための基本労務契約」の附属協定(細目書)はそのF節1項において、駐留軍労務者が

a 作業妨害、牒報もしくは軍機保護に関する規則違反又はその企画もしくは準備をなしたとき

b 軍隊の保安に直接有害と認められる政策を採用もしくは支持する破壊的団体又は会の構成員であるとき

c 右a所定の活動に従事するもの又は右b所定の団体もしくは今の構成員と常習的又は密接に連携し、その程度が軍隊の利益に反して行動するものと認めるに足るとき

保安上危険であるとして解雇すべき旨を定め、いわゆる保安解雇の基準を設けた。

しかして右基準は制限的に列挙されたものと解すべきであるが、申請人には右aないしcに該当する事実がない。もつとも申請人は昭和三十二年四月多摩勤労者学校に入学して講義を受けたのでその事実を捉えて右保安解雇の基準cに該当すると認定されたものであろうが、右学校はアメリカ合衆国軍隊の保安に有害な政策を教育するものではなく従つて又右学校において受講したからとて同軍隊の利益に反することにはならないから、右のような認定を受けたのはまことに心外である。

さような次第で、被申請人が申請人に対してなした解雇の意思表示は解雇権の制限に違反し、もしくは解雇権の濫用にわたつたものであるから、その効力を生じるに由がないのである。

2  (憲法及び労働基準法違反)

右解雇基準はアメリカ合衆国軍隊の安全保持という政策上設けられたものであるとはいえ、国内法の適用を免るべきいわれはないところ、そのaはともかく、b及びbを前提とする場合のcは文理上思想、信条によつて差別的取扱を許すのみならず、実際の取扱上も日本共産党員もしくはその組織的同調者又はこれと連携する者の排除を目的とすることが明らかであるから、人格の平等を宣言する憲法第十四条、思想及び良心の自由を保障する同法第十九条、結社の自由を保障する同法第二十一条並びに解雇事由を含むと解すべき労働条件につき信条等による差別待遇を禁止する労働基準法第三条に違反し当然無効たるものというべく、従つて申請人に対し右基準のbを前提とするcを適用してなされた解雇の意思表示は右基準に該当する事実の有無にかかわりなく無効に帰するものという外はないのである。

しかして又仮に右解雇基準それ自体を違法となすに当らないとしても申請人に対する解雇の意思表示は申請人が日本共産党員又はその組織的同調者と連携したという認定に立脚し一般の取扱例に従い右基準のcを適用してなされたものであるから、申請人をその思想、信条により差別待遇したに外ならない。もつとも右認定そのものに承服し難いのは勿論であるが、これがため差別待遇の事実が拭い去られるいわれはない。従つて右解雇の意思表示は憲法及び労働基準法の前記条規に牴触するものとしてその効力を否定されるのである。

三  (賃金請求権の存在)

されば申請人と被申請人との間の雇傭関係は被申請人からなされた解雇の意思表示により消長があるものではないのに、被申請人は右解雇前の暫定措置として昭和三十三年六月二十三日申請人に出勤停止を命じて以来引続き申請人から労務の提供の受領を拒み解雇の翌日たる昭和三十四年二月一日以降の賃金の支払をしていないが、解雇前の賃金は毎月十日その前月の月給額を支払う定めであつて昭和三十三年十月勤務年数により昇給した結果月額基本給一万五千六百六十円、暫定手当三千百六十円の合計金一万八千八百二十円となり出勤停止期間中も右金額から算出された休業手当が支払われていたものである。

四  (保全の必要)

よつて申請人は被申請人を相手取り未払賃金請求の訴を提起すべく準備中であるが、左記事情があるため本案判決の確定を俟つにおいては回復し難い損害を蒙る虞がある。

1  申請人は被申請人から解雇と同時に唯一の収入たる賃金の支給を断たれたので僅かな失業保険金と他からの借財とによつて辛じて生活を維持して来たが、このまま時を過せば忽ち経済的に行き詰ることは明らかであり、これがため賃金請求の本案訴訟の提起が困難となつては全く救われない。

2  もつとも申請人は昭和三十四年十一月十日株式会社日本真空機器製作所に雇われ設計士として勤務し月額基本給一万二千九百円、家族手当三百円、手取りにして金一万千ないし三千円の賃金を得ることとなつたが、その雇傭関係は一時窮乏を凌ぐため右会社の好意にすがり本件が結着をみるまでという条件で成立したものであつて、しかく安定したものでも恒久的なものでもない。のみならずその賃金は被申請人から支給される賃金より低額であつて申請人夫婦の生活を賄うに足りず、もとより右就職まで九箇月余の間に負担した借財の返済には廻らないのである。

3  さような次第で申請人としては被申請人から未払賃金が即座に支払われ又将来にわたり正常に賃金が支払われる必要があるのである。

4  ちなみに残存する借財の内容を示せば岡本菊代から借受けた合計金五万七千円、市川キヨノから借受けた金五万円、法律援助協会から借受けた金三万二千円及び友人から少額当借受けたものであるが、右岡本からは特に返済を迫られている。

五  さようなわけで本件未払賃金すなわち本件口頭弁論終結当時既に期限の到来した昭和三十四年二月から昭和三十五年五月までの賃金につき昭和三十四年七月までの分合計金十一万二千九百二十円の内金十万円と同年八月以降の分合計金十八万八千二百円との合算額金二十八万八千二百円を即時に支払うべく、期限未到来の昭和三十五年六月から本案判決確定の月但しその日が月の十日以前のときはその前月までの賃金月額金一万八千八百二十円につきそれぞれ翌月十日の期限到来と同時に支払うべく命じる仮処分を求めるものである。

第三被申請人の答弁

一  申請の理由一の事実及び二の事実中申請人主張の基本労務契約の細目書F節1項aないしcにおいて申請人のような保安解雇の基準が設けられていること、申請人が多摩勤労者学校において受講したことは認める。

二  申請人に対する解雇の意思表示は右解雇基準のcに該当する事実の存在を認めこれに基き申請人の雇傭を継続するときはアメリカ合衆国軍隊の保安上危険であるという理由でなされたものであつて、濫りに解雇基準を逸脱し又思想、信条により差別待遇をなしたものではないから、申請の理由二の解雇無効の主張が成立する余地はない。

三  申請の理由三の事実中被申請人が申請人に出勤停止を命じ又その期間中(但し昭和三十三年十月以降)申請人主張のようにして算出した休業手当を支給したことは認めるが、申請人が昇給したことは否認する。申請人の賃金は月額基本給一万五千五百三十円、暫定手当三千八十円の合計金一万八千四百十円であつて、右休業手当の算出、支給は事務上の手違にすぎない。

四  申請の理由四の主張は争う。申請人は自認するように株式会社日本真空機器製作所に設計士(技術補)として雇われ月額基本給一万二千九百円、家族手当三百円(手取としては金一万五、六千円であつて申請人のこの点の主張は事実に反する。)の支給を受けているのであるから、右賃金によつて生活を維持し得るのみならず、昭和三十四年十二月には結婚して二間の部屋を借受け月々金五千円の部屋代を支払いながらなお親許の援助を受けず自活しているくらいであるから、その生活はむしろ安定しているものと推察される以上、申請人主張のような仮処分を必要としないものといわなければならないのである。

第四疎明方法<省略>

理由

一  申請人と被申請人との間に雇傭関係が成立した点竝びに被申請人から申請人に対し解雇の意思表示がなされた点に関する前掲申請の理由一の事実は当事者間に争がない。

しかして右解雇当時施行の「アメリカ合衆国軍隊による日本人及び通常日本国に居住する他国人の日本における使用のための基本労務契約」の細目書F節1項aないしcにおいて、いわゆる間接雇傭の駐留軍労務者に対する保安上の理由による解雇の基準に関し申請人主張の前掲規定が設けられていたことは当事者間に争がなく、当裁判所が真正に成立したものと認める乙第二号証竝びに弁論の全趣旨によれば申請人に対する解雇の意思表示は右解雇基準のcに掲げられた場合のひとつ、すなわち軍隊の保安に直接有害と認められる政策を採用もしくは支持する破壊的団体又は会の構成員と常習的又は密接に連携しその程度が軍隊の利益に反して行動するものと認めるに足るときに該当する事実があるとしてアメリカ合衆国軍隊(第五空軍司令官)から被申請人になされた申請人の解雇要求に基くものであることが一応認められる。

二  そこで右解雇の意思表示の効力を判断する。

申請人はいわゆる保安解雇に関する前記基準は制限的に列挙されたものと解すべきところ申請人にはこれに該当する事実がなかつたから申請人に対する解雇の意思表示は解雇権の制限に違反しもしくはその濫用にわたつたものであつて無効であると主張する。

しかしながら成立に争のない乙第一号証によれば前記基本労務契約に附属の細目書においてはアメリカ合衆国軍隊がその労務に服させるため被申請人から提供を受けた間接雇傭の駐留軍労務者を保安上の理由により解雇するのを正当と認めた場合には日本政府の機関に通知して意見を徴すべき旨を規定しているが、同時に被申請人は右軍隊が保安解雇の基準に該当する事実の存否に関してなす判定に異議がある場合にも同軍隊の要求がある限り保安解雇の手続をなすべき旨を規定していることが一応認められるから、被申請人は基本労務契約及びこれに附属の細目書によつて、アメリカ合衆国軍隊に対し保安解雇の基準に該当する事実の存否に関する最終的認定権を与えたものと解され、これがため被申請人が駐留軍労務者に対して行う保安解雇をその基準に該当する事実が客観的に存在するものと自ら判断した場合に限定し得ない結果が生じるのは制度的に避け難いところであつて、少くともその限りでは右解雇基準は駐留軍労務者のため解雇権を制限する趣旨の保障とはなつていないものという外はない。してみると被申請人から申請人に対してなされた解雇の意思表示はさきに一応認定したように保安解雇の基準に該当する前掲事実があるとしてアメリカ合衆国軍隊から被申請人に対してなされた申請人の解雇要求に基くものである以上、仮に申請人に右解雇基準該当の事実がなかつたとしても、そのことのために基本労務契約附属の細目書に違反するものではないのであつて、もとより申請人主張のように解雇権の制限違反という独自の解釈を適用し得る筋合ではない。しかして又右軍隊が不当な目的、動機を以て申請人をその職場から排除せんとして解雇の要求をなしたものである等特段の事情があれば格別、さような事情の存在についてはその疏明が得られないから、解雇権濫用の主張も理由がない。

三  次に申請人は前記保安解雇の基準のb及びbを前提とする場合のcは文理上思想、信条によつて差別的取扱を許すのみならず、実際の取扱上も日本共産党員もしくはその組織的同調者又はこれと連携する者の排除を目的としているから、憲法第十四条、第十九条、第二十一条及び労働基準法第三条に違反し当然無効であつて右基準のbを前提とするcを適用してなされた申請人に対する解雇の意思表示も無効に帰すべきであると主張するが、軍隊という組織がその存立上行動の安全を保持するため極度に機密を重んじることからすれば基本労務契約附属の細目書F節においてアメリカ合衆国軍隊が被申請人から提供を受ける間接雇傭の労務者に対し保安上の理由により解雇の措置を要求し得ることを定めたのは当然であり、その基準として列挙の事由も軍隊の保安上危険とみなされてもやむを得ない場合であると考えられるから、保安解雇の制度を以て単なる思想、信条等による差別待遇を許容せんとするものであるというを得ないことは明らかであつて、申請人主張のような解釈を生ずべき文理上の根拠がないのは勿論、実際上の取扱は別として申請人主張のような目的が介在することを窺わせる疏明もない。さすれば右解雇の基準が申請人主張のように憲法又は労働基準法に牴触すべきいわれはなく、その牴触を前提とする解雇無効の主張は採用の限りではないのである。

四  次に又申請人は申請人に対する解雇の意思表示は申請人が日本共産党員又はその組織的同調者と連携したという認定に立脚し一般の取扱例に従い前掲解雇基準のcを適用してなされたものであるから思想、信条により差別待遇をしたに外ならず、憲法及び労働基準法の前記条規に違反して無効であると主張するので考えてみる。

申請人が昭和三十二年四月多摩勤労者学校に入学して講義を受けたことは当事者間に争がなく、前出乙第二号証竝びに申請人本人尋問の結果によれば申請人の他に、空軍立川基地勤務の駐留軍労務者で申請人と同一時期に右学校において受講した実方信一等五名中四名の者は申請人と同一の理由によりアメリカ合衆国軍隊の同一文書を以てした要求に基き保安解雇を受けたことが一応認められるところ、申請人に対する解雇に適用された前記細目書F節1項cに該当する具体的事実の存在については被申請人から特に疏明されるところがなく、かえつて証人市川璋、同井藤平八郎、同遠藤隆、同平川晃竝びに申請人本人の各供述を綜合すると申請人には他に右解雇基準該当の事実の存在を疑われるに足る行動がなかつたことが一応認められるから、彼此考量して申請人が右学校において受講した事実が右解雇基準該当の事実の存在を疑わせる契機となつたものと推認するのが相当である。

しかしながら右学校が日本共産党又はその組織的同調者の主催もしくは指導にかかり又は日本共産党の主義、綱領を教育、宣伝するものであれば格別、さような事実の疏明はない。従つて保安解雇の審査にあたり申請人が右学校において受講した事実から申請人主張のように日本共産党員又はその組織的同調者と連携したと認定されたものと判断するのは特段の事情がない限り臆測の域を出でるものではない。申請人の主張の根底には前記保安解雇の基準cの一般的取扱が日本共産党員又はその組織的同調者の排除を事としているから申請人の解雇の場合も右のような認定がなされたに相違ないという考え方が存在するもののようであるが、右のような解雇基準の取扱方が一般であることについてはその疏明がないから、これを前提とする考え方は採用に値しないのである。

してみると結局申請人に対する解雇の意思表示が思想、信条により差別待遇をなしたものであることについては疎明がないことに帰着し、これを理由とする解雇無効の主張が失当たることは明らかである。

五  これを要するに申請人の解雇無効の主張がすべて排斥される以上、申請人に対する解雇の意思表示はその効力につき解雇自由の原則に立返つて考えられるべきであつて、あるいは解雇基準に該当する事実の存否を誤認してなされたものであるかも知れないが、これがため直ちに効力を否定さるべきものではない。しかして弁論の全趣旨によれば被申請人は申請人に対して解雇の意思表示をなした頃三十日分の平均賃金を支給したことが一応認められるから、申請人と被申請人との間の雇傭関係は被申請人からなした解雇の意思表示により昭和三十四年一月三十一日限り終了したものといわなければならない。

六  果してそうだとすればその翌二月一日以降も雇傭関係が存続することを前提として賃金請求権が発生しているという申請人の主張には理由がないから、本件仮処分申請については被保全権利の存在に関する疏明がないものというべく、さればとてこの点の疏明に代えて保証を供させることも妥当とは考えられない。

よつて右申請を理由がないものとして却下することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原正憲 駒田駿太郎 北川弘治)

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